文●株式会社コア取締役/組織開発コンサルタント/公認会計士 蒲池 孝一
衝撃的な出来事
今年は、衝撃的な出来事がありました。自然の猛威に、愛する家族を失った人たちの悲嘆を思うと、心が痛みます。
しかし、衝撃的な出来事の中には、あろうことか、人が、自ら為したあさましい行為もありました。
大王製紙、オリンパス、それに、大きくは取り上げられませんでしたが、脱税、公正証書偽造、補助金不正等々の事件が幾つも登場しました。東京電力の原発事故への対応は言うに及びません。
自然の猛威を体験し、今、根本的に生き方を問うことが始まっています。これらのあさましい出来事からも、私達は何かを学び直さねばなりません。
あさましいとは
「あさましい」と書きました。この言葉は、ひどく嘆かわしい有様を表しています。と同時に、この言葉は、哀しいという語感も含んでいます。
卑劣な行為はみじめで哀しいことです。大事な人を失うことが分かっていながら行ってしまう。哀しいことです。
それは人の本性なのでしょうか。
「悪人」というベストセラー小説が映画化され(注)、ご覧になった方は多いでしょうが、そこで描かれていることは、普通の若者たちの悪事です。が、その発端は実につまらないことです。
しかし、一方で、私達は心を打つ善き行いにも数多く出会いました。人を助けるために窮地に飛び込んでいく人たちです。皆、普通の人です。
両方をみると、人は本性が悪である、善である、と決めつけることはできないのでしょう。
あさましさ⇔誠実
あらゆるあさましい行為の一番の大本は何でしょう。
そこで、ふと思い出したのが、50年以上前、ボーイスカウトに入団したときに唱えた「スカウトは誠実である」という言葉です。ボーイスカウトにはいくつも掟があるのですが、これが最初に掲げられています。
そして、これが大本なんだと、今確信するのです。嘘が全ての始まりと。嘘は否定的な語ですが「誠実」の対義語といえるでしょう。利益追求、保身のための行為でも「嘘をつかない」ことを通すなら、少なくとも、あさましさからは離れられるのではないでしょうか。
踏みとどまらせるもの「名誉」
反論、「それは分かっている、分かっていながら踏み外すのは何故だ」。
子供のころに植えつけられる倫理はとても大事です。嘘が一番の悪だということを刻むことができるのは、幼児の時です。
しかし、それがない場合もあります。嘘による怖さ哀しさを全ての人が経験しているわけではないからです。
では、大人になってからはどうしたらよいか。私は、また、ボーイスカウトの「誓い」を思い出すのです。そこではこう言うのです、「私は名誉に掛けて誓います」と。
当時は「名誉」という言葉が理解できませんでした。しかし、今、これが、心を支えます。
名誉なんて大げさな、誰にでもあるのか、と言われるかもしれません。しかし全ての人は自分の名前を持っています。その名前は大事なはずです。名誉はその名前のことなのです。名誉は、特定の宗教や国や職業のものではなく、万人に存在します。その人自身の名前、それが大事だ、ということです。
「自分にかけて誓う」という体験をどこかで得ることができると良いのですが。
※注 「悪人」は吉田修一作。李相日監督で映画化されました(2010年)。若者たちが、ちょっとしたことから悪事をなす。が、彼らは悪人なのか何なのか。
エールパートナーズ会計発行:成長企業のための情報誌「グローイングカンパニー」
2011年12月号(VOL 137)より
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