「完全でないと製品ではない」という姿勢は、日本の工業製品が、世界的に非常に高い評価を得る原動力になりました。しかし、工場で規格生産された製品でない、自然の中でとれたものを扱う農業や漁業、林業にも工業製品の大量生産の考え方を押し付け、その結果、規格に合わないものは味や品質は問題がないのに、産地において大量に廃棄してきました。
今考えたらおかしいこと
例えば、漁業においては、水揚げされた魚の40%が、数が揃わない、傷がある、小さすぎるといった理由で破棄されています。また農業においては、大きさ、カタチが揃っていないというだけで出荷商品からはねられる野菜等、ようやく最近になって見直されてきていますが、まだ大きな流れになっているわけではありません。
林業においても、無垢材が健康に良いということで、最近はマンションにも使われ始めましたが、加工をしていない自然素材という宿命で、何年か経過するとひび割れをおこす、完成時のデザインと違う等の問題を抱えており、お客様からのクレームとなることもあります。このため、施工業者(ゼネコン:納品後の品質に責任を持たないといけない)は無垢材を扱うことに対し非常に慎重です。接着剤を大量に使用した合成材の方を使うことは、気密性の高いマンションではむしろ健康上の影響が気になる所ですが、施工側からすると、法律にのっとって実施した工事でもあり、クレーム回避が可能です。これまでは実際に住まう人の健康問題よりも自社のリスク回避最優先で仕事をしている、という状況でした。
工業至上主義から人間至上主義
工業製品は、最初にルールを作り、そこに合わないものは全てはねる、そして大量生産を行い、クレーム率を徹底的に低くする、そのことで多少の廃棄商品が出ても、トータルコストは少なくて済むという考え方でした。
しかし、何が大切かという観点からすると、上記の野菜の場合、カタチが揃わないだけで廃棄処分されます。生産者は、消費者はカタチがきれいでないと買ってくれないから、と言いますが、不揃いとなる理由等の情報を正しく伝えたり、価格を変えることで商品として充分に成立します。
自然素材=野菜、米、魚、木材は、太古の昔から人間が最も接してきたものです。出来るだけ自然なままで消費者が食したり、接したりすることが理にかなっていますし、健康にも、そしてサスティナビリティの考えからも、出来るだけ地元の近くでとれたものが良いとされています。
それには、自然素材を、極力加工をせずに消費者に届けるということは、1品1品が全く違うということの認識と、木材のように時が経つと素晴らしい変化もあるし、ひびも入る(もちろん基準は必要だし、手入れによって全く変わります)という認識が必要です。
工業化の次に
人間社会の発展に必要なもの
工業化は、人間社会の発展に大きく寄与しました。それはこれからも継続していかなければなりません。しかし、日本を含め先進国は、産業が成熟化し既に次のステージ、つまり健康や文化などの心の豊かさを評価するステージに入ろうとしています。
世界における日本の役割やビジネスチャンスは、農業、漁業、林業の一次産業の中にもあります。
必要なのは、消費者の意識を変える情報や教育です。
昨年、ネット通販でヒットした「訳あり商品」もまさに、ネットの口コミからマスメディアが取り上げ、一気に人気に火が付いた例です。「大量生産型の隙間」にとりこぼしたビジネスチャンスがまだまだ転がっています。それはニッチビジネスではなく、これからの主流ビジネスです。