文●株式会社コア取締役/組織開発コンサルタント/公認会計士 蒲池 孝一
おぞましい話題が続いています。が、とりわけ、目を疑ったのが、大阪地検特捜部の押収品データ改竄事件でした。
朝日新聞の最初のスクープ記事ではまだそれが確定的だとの印象を受けませんでしたが、日を追うごとに真実味を帯びてきて、今日(10月8日)現在では、実行検事に加え、とうとう前特捜部長、副部長の逮捕拘留にまで発展してしまっています。
記事に我が目を疑ったと言うのは、とりもなおさず、私にも特捜部に対し権威を感ずる心があったということでしょう。「トクソーブ」という言葉は確かにある種独特の響きを持っています。総理であれ誰であれ、権力を笠に闇で悪事を働く連中を脅かし、ひと泡吹かせてくれる正義の存在であったのです。
時の政治権力からの介入を許さず、権威と権力(前号参照)を併せ持った現代のサンクチュアリと言うに相応しい存在でした。
ところがどっこい、起訴された村木さんが無実であることが裁判で明らかにされ、国民の冷笑を招いたのもつかの間、この「捏造」の発覚です。
さて、この事件から何を読み取るのでしょうか。ことばシリーズの今号、取り上げるのが、言葉ではなく事件になってしまいましたが、事件は避けて通ることができません。読者の皆さまもきっと同じだと思います。この事件は、私たちを嫌な気分にさせたままだからです。私たち自身の出口はなんでしょうか。
事件を暴いた朝日新聞は社説で指摘します。「なぜ声を上げなかったか」(注)と。「不都合なことを見ない。黙る。それは、組織とそこに属する人間がしばしば陥る落とし穴である。日々の社会生活の中で私たちの多くが経験しているといっても過言ではない。」と。
そのとおりです。似たことは、会社組織でも経験しています。ですが、社説は次にこう言います。「しかし、人間の弱さで片づけていい問題ではない」。え?、ではどうするのか?続けます。「(検察関係者は)改めて自らの行動を振り返り最高検による今後の操作と検証にのぞまなければならない」と。
せっかくの格調もこう展開されると平板です。組織の不祥事が発覚すると必ず識者が言うではないですか。膿を全部出し切れ、と。それと同じです。ですが、出口は、これで良いのでしょうか。
翻って考えてみます。落とし穴があるとすれば、それは、組織の中の我々が作る。膿は我々の膿、けして、他人のものではない、綺麗にした後にも、また、膿を再生産する。善きことをするエネルギーが同時に膿を生みだすというパラドックス。いうところの「内部統制」制度を、さらに重層的に作るということが出口だとも思えません。
私は、こう思えてきたのです。
「弱さで片づけていい問題ではない」が、弱さを認めることが必要ではないでしょうか。もっと言えば、プロこそ、自分はそんなに正義ではない、という謙虚さを求められているのではないかと。この自戒こそがプロの条件です。きっとそうです。
※注 これは平成22年9月23日朝日新聞社説の題名。この言葉は組織を扱う私達を突き、頭を垂れずにはおれません。原文を是非お読みください。JPAにお申し出くださっても結構です。この事件から何を感じたか、皆さまからのご意見も頂戴したいと思います。