紀尾井町・名前の由来
弊社が事務所を構える千代田区紀尾井町。このあたりは歴史的な旧跡が多く、史実にも登場する土地柄です。そもそも、紀尾井町とは紀州徳川家中屋敷、尾張徳川家中屋敷、彦根井伊家中屋敷に由来しており、各家の一文字をとってできた町名です。紀州徳川家の屋敷跡は現在のグランドプリンスホテル赤坂(旧赤坂プリンスホテル)の入口・弁慶橋付近に、尾張徳川家の屋敷跡は現在の上智大学、井伊家の屋敷跡は現在のホテルニューオータニ付近にあり、今でも石垣などに当時の面影が見られます。
清水谷公園
紀尾井坂から南の弁慶橋あたりまでは低地でかつては清水が涌き出ていたため、清水谷という地名になりました。明治11年(1878年)5月14日の朝、時の内務卿(現在の総理大臣にも匹敵)・大久保利通が赤坂御所へ出仕する途中、暗殺されたのがこの付近です。この事件は「紀尾井坂の変」と呼ばれ人々に衝撃を与え、後に大久保利通哀悼碑が建てられました。現在はこの碑や心字池を中心に各種樹木が植えられ、憩いの場となっています。
史跡エトセトラ
紀尾井町にはこの他にも旧跡があります。
グランドプリンスホテル赤坂旧館は、元は朝鮮最後の王朝であった李王家の邸宅(1930年竣工)でした。白い壁と濃褐色の木造2階建の洋館は、戦後売却、改装して1955年にホテル開業となりました。
ホテルニューオータニの庭園は、さかのぼること400年の歴史があります。豊臣秀吉の忠臣、加藤清正の下屋敷がこの地にありましたが、関ヶ原の戦いを境に勢力を失い、やがて井伊家に引き継がれます。その後、この地は伏見宮邸宅となり美しい庭園となりました。戦後、伏見宮家が手放すにあたり、外国人の手に渡ろうとしたところを、ホテルニューオータニ創業者の大谷米太郎が、この由緒ある土地を外国人に売り渡すのは惜しいと買い取り、荒れた庭園を改修しました。今でも、庭園には加藤清正の時代からの石灯籠や樹木がそのままに、400年の歴史を物語っています。
紀尾井町通りには桜の並木があります。まもなく桜の季節です。彩りを添えた歴史探訪を楽しんでみてはいかがですか。